ブライアン・ムベウモ、アヴァロンで育まれた原点と、家族が与えた絶対的な支え

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ブライアン・ムベウモ、アヴァロンで育まれた原点と、家族が与えた絶対的な支え Manchester United

1999年8月、フランス・ヨンヌ県アヴァロン。人口わずか7,000人の小さな町で、ブライアン・テサドング・マルソー・ムベウモは産声を上げた。カメルーン出身の父とフランス人の母の間に生まれた彼は、二重国籍を持ち、複数の文化に根ざした価値観とアイデンティティを育んでいく。

地元の舗装ピッチで、日が暮れるまでボールを追いかける少年。その姿を家の窓から見守っていた母親の声が、いつもの終わりの合図だった。6歳でアヴァロネに加入し、その後ブルゴワン=ジャイユー、そして14歳でトロワの下部組織へと進んだ。

当時の指導者は「彼は自分がどこへ向かっているか分かっていた」と語っており、その規律ある姿勢は家庭に深く根ざしている。

本人も後年、「最高のパフォーマンスを発揮するには、支えと愛が必要」と語っており、家族の存在が彼のキャリア形成においてどれほど重要だったかがよく分かる。

トロワで脚光を浴び、ユースからプロへの階段を一気に駆け上がる

ムベウモの名がフランス国内で広く知られるきっかけとなったのは、2018年に開催されたガンバルデラ杯。フランス版FAユースカップの決勝戦で2得点を挙げ、トロワに62年ぶりのタイトルをもたらした。そのインパクトは絶大で、同大会での2ゴールはムバッペ以来の快挙だった。

プロデビューは2018年2月、当時19歳の彼はトロワのトップチームで初出場を果たす。クラブはリーグ・アンからリーグ・ドゥへと降格したが、そのことが逆に彼に多くのチャンスをもたらした。2018-19シーズンは公式戦40試合に出場し11ゴール。リーグ・ドゥでは35試合で10得点をマークし、昇格争いに貢献したものの、惜しくもプレーオフで敗退している。

“BMW”トリオの一角として、ブレントフォードを変えた男

2019年の夏、ブレントフォードは約580万ポンドというクラブ史上最高額でムベウモを獲得。当時のトーマス・フランク監督は「スピード、仕掛け、1対1、そしてペナルティエリアへの遅れての侵入。そのすべてを備えた選手」と絶賛していたという。

加入初年度から即戦力としてフィットした彼は、サイード・ベンラーマ、オリー・ワトキンスとともに“BMW”の頭文字を取った伝説的3トップを形成。16ゴール8アシストの大活躍を見せた。昇格をかけた2020年のプレーオフ決勝では敗れたが、その存在感は揺るがなかった。

その後もクラブに残留し、2021年にプレミアリーグ昇格を果たす。2021-22シーズンは8ゴール12アシスト、続く2022-23シーズンにはリーグ戦全試合に出場し、出場停止中だったトニーの穴を埋めるべく、ヨアネ・ウィサとの連携で攻撃を牽引。チームは9位という快挙を達成した。

2024年春に足首の負傷から復帰すると、7試合で2ゴール3アシスト。そのまま勢いは止まらず、2024-25シーズンにはリーグ20ゴール8アシストを記録。6シーズンで公式戦242試合出場、70ゴール51アシストという記録は、クラブの歴史に名を刻むに相応しいものだ。

カメルーン代表としての決断、そして夢のクラブでの新章へ

ユース代表ではフランスのユニフォームを着ていたが、2022年8月、伝説のストライカーでもあるカメルーンサッカー連盟会長サムエル・エトーとの対話を経て、ムベウモは父の祖国を選んだ。その年のカタールW杯ではグループステージ全3試合に先発出場し、存在感を放つ。

その後も代表として活躍を続け、2025年7月時点で22キャップ6ゴール。将来的には代表の中心的存在としての役割が期待されている。

そして2025年の夏、ついに夢のステージへとステップを踏む。マンチェスター・ユナイテッドが獲得に動き、移籍金は6500万ポンド(アドオン次第で7100万ポンドまで上昇)と報じられている。

幼少期にクリスティアーノ・ロナウドのレプリカユニフォームを着ていたという少年は、今、そのクラブの一員となった。ルベン・アモリム監督の下で、ハイプレスとゴール前での決定力を武器に、彼は新たな挑戦に臨む。

給与は週15万ポンドに跳ね上がり、背番号は「19」に決定。ユナイテッドは数度のオファーの末に、プレミアリーグでも実績十分な右ウィンガー獲得に至り、得点力不足に悩んだチームの入れ替えに成功した。

アヴァロンの片隅で始まった物語が、ついにオールド・トラフォードへとたどり着いた。規律と献身、そしてピッチ上での非凡な才能。ブライアン・ムベウモが赤い悪魔の一員としてどんな伝説を紡いでいくのか。