ウェンブリースタジアムのピッチに響くファンの歓声とは裏腹に、コスタス・ツィミカスの心境は複雑だった。コミュニティシールド、クリスタル・パレス戦。チームメイトたちがロンドンへ向かうバスに乗り込む中、29歳のギリシャ人左サイドバックだけがマージーサイドに残されていた。
アルネ・スロット監督による21人のチームリストに名前はなく、その理由は誰もが察していた通りだった。ファブリツィオ・ロマーノ氏が翌日明かした「退団が期待される」という言葉は、ツィミカスの5年間にわたるアンフィールド生活に終止符を打つ合図となった。
週給約8万ポンドという決して軽視できない報酬を受け取りながらも、ツィミカスが直面している現実は厳しい。ボーンマスから4500万ポンドで獲得されたミロシュ・ケルケズの到着により、左サイドバックのヒエラルキーは一変した。
ベテランのスコットランド代表DFアンディ・ロバートソンが控えており、若きハンガリー代表ケルケズとのレギュラー争いが展開する中、ツィミカスはついに3番手の座に甘んじることとなった。
スロット体制下で露呈した戦術的不適合の現実
ボーンマス戦でもチームから外されたツィミカスの状況は、もはや一時的な調整ではない。スロット監督が描く戦術的青写真において、彼の居場所は既に消失している。
フェイエノールト時代から培われた監督の哲学は、左サイドバックに従来の概念を超えた多面性を要求する。攻撃時には最終ラインからビルドアップを主導し、守備時には中央への絞りと逆サイドへのカバーリングを同時にこなす。この高度なマルチタスクをスムーズに実行できる選手こそが、スロット監督の求める理想像だった。
ケルケズの加入は、この戦術的要求を満たす完璧なピースの獲得を意味していた。わずか21歳ながら、ハンガリー代表として国際舞台での経験も積み、プレミアリーグでの適応力も既に証明済みの逸材。彼の左足から繰り出される精密なクロスボールと、現代サッカーに不可欠なスピードを兼ね備えた存在は、スロット監督の構想に完璧にフィットしていた。
一方でツィミカスは、この新たな競争環境において苦戦を強いられている。昨シーズンのプレミアリーグでの出場機会は限定的で、リヴァプールがタイトル争いを制した栄光の影で、彼自身のキャリアは停滞を余儀なくされていた。
オリンピアコス時代の輝かしい記憶と、アンフィールドでの数々の劇的なゴールシーンは色褪せることはないが、現実のピッチでは新たな挑戦の場を求める時期が到来していた。
複数クラブが関心示す中での移籍金交渉の行方
英『This Is Anfield』の報道によると、ノッティンガム・フォレストが正式にリヴァプールへ関心を伝達済みで、興味深いことに同クラブのオーナーであるエヴァンゲロス・マリナキスは、ツィミカスの古巣オリンピアコスの実質的なオーナーでもある。この人脈が移籍実現の鍵を握る可能性は高い。
さらにバレンシア、リール、そしてリーズ・ユナイテッドといった複数のクラブが水面下で動きを見せている。特にリーズは昇格を果たしたばかりで、プレミアリーグでの経験豊富な左サイドバックの獲得を急務としている。ジュニア・フィルポの退団により生じたポジションの空白を、ツィミカスの実力と経験で埋めたいと考えているのは自然な流れ。
リヴァプールサイドの要求額は1200万から1500万ポンドの範囲で設定されており、2020年にオリンピアコスから支払った1175万ポンドを若干上回る水準だ。5年間での成長と、プレミアリーグタイトル獲得への貢献を考慮すれば、妥当な価格設定といえる。
また、リヴァプールはローン移籍の提案にも門戸を開いている。これは完全移籍を理想としながらも、選手のキャリアと移籍市場の動向を総合的に勘案した現実的な判断といえる。
ツィミカス本人にとって、29歳という年齢は決断を急がせる要因でもある。プロサッカー選手としてのピーク期間を有効活用するため、レギュラーポジションを確保できる環境への移籍は合理的な選択だ。6月のインタビューで彼が語った「年間27から29試合の出場機会は他チームでの40試合より価値がある」という言葉も、現在の状況を前にして重みを失いつつある。
ツィミカスの状況を見つめながら、私は現代フットボールにおける選手の立ち位置の微妙さを改めて実感している。彼は決して能力が劣っているわけではなく、むしろ多くのクラブが欲しがる実力の持ち主だ。
しかし、スロット監督の戦術システムとケルケズという若い才能の登場により、彼のアンフィールドでの役割は急速に縮小してしまった。これはサッカー界の残酷な現実でもあり、同時に新たな可能性への扉でもある。 ツィミカスがリヴァプールを離れることになれば、それは彼にとって新章の始まりとなる。ノッティンガム・フォレストのようなクラブでレギュラーポジションを掴み、再び輝きを取り戻す姿を想像するのは決して困難ではない。
彼の左足が持つ技術と、5年間のプレミアリーグ経験は、新天地でも必ずや価値を発揮するはずだ。アンフィールドでの思い出と共に、ツィミカスの新たな冒険が間もなく始まろうとしている。