スタンフォード・ブリッジで迷子になった男が、ついに脱出への糸口を掴んだ。アクセル・ディサシのチェルシー離脱劇が、移籍市場終盤で怒涛の展開を迎えている。
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズとボーンマスが火花を散らす争奪戦に突入し、ニューカッスル、さらにはナポリまでもがこのフランス代表センターバックの奪取に乗り出した。
2023年夏、モナコから4500万ユーロの大型移籍でチェルシーに降り立ったディサシ。デビュー戦でリバプール相手に決めた鮮烈なゴールは、ブルーズファンに新時代のディフェンスリーダー誕生を予感させた。
身長191センチの圧倒的なフィジカルと空中戦での絶対的優位、そして予想外の場面で炸裂するロングシュートを持つ27歳は、プレミアリーグの戦場にこれ以上ない適性を備えていた。
ところが、エンツォ・マレスカ体制下で運命の歯車が逆回転を始める。昨季後半にはアストン・ビラへの緊急避難を強いられ、わずか10試合614分という断片的な出場時間に甘んじた。
ビラでの滞在は期待を大きく裏切る結果に終わり、フランス代表通算5キャップの実績を誇る選手にしては屈辱的な評価を受けることになった。英『CaughtOffside』の報道によれば、チェルシーはディサシの移籍金として約3000万ポンドを要求しており、2年前の巨額投資を回収したい思惑が透けて見える。
ウルヴァーハンプトンが仕掛ける創造的アプローチ
移籍期限が迫る中、最も獰猛な動きを見せているのがウルヴァーハンプトンだ。同クラブ関係者の証言は興味深い。「チェルシーとの交渉はすでに始まっている。ウルヴズは予算を圧迫することなく契約を成立させるため、パフォーマンスベースのボーナスなど創造的な解決策を模索している」
このアプローチは実に巧妙だ。ウルヴズは今夏、マテウス・クーニャやラアン・アイト・ヌリといった主軸を失血し、戦力補強が死活問題となっている。
ヴィトール・ペレイラ監督にとって、プレミアリーグで実戦経験を積んだディサシの獲得は降格圏回避への切り札となる。パフォーマンス連動型の移籍金設定により、選手のモチベーション向上と財政負担軽減を同時に実現する発想は見事としか形容できない。
一方のボーンマスも手をこまねいてはいない。ディーン・ホイセンやイリア・ザバルニーを手放したチェリーズにとって、センターバック補強は緊急事態に等しい。アンドニ・イラオラ監督が志向する攻撃的サッカーを機能させるには、後方での盤石な守りが前提条件となる。
アクセル・ディサシのプレミアリーグ復活への道筋
ディサシ本人にとって、この移籍は選手生命の分水嶺となる瞬間が到来している。チェルシーでの2シーズンは彼の期待を完全に裏切った。初年度こそ44試合に出場したものの、マレスカ監督の戦術的要求には適応できず、ビラでのローン期間も低調な結果に終わっている。
それでも、モナコ時代の輝かしい実績は色褪せることがない。リーグ・アンで3シーズンに渡って129試合に出場し、不動のパフォーマンスを披露。フランス代表としてカタールワールドカップの決勝でプレーした体験は、彼の持つ潜在能力の高さを雄弁に物語っている。問題は、その才能をプレミアリーグで解放できる舞台を見つけることだ。
ウルヴズか、ボーンマスか、はたまたニューカッスルか。どの道を選ぼうとも、ディサシには崖っぷちの覚悟で戦うことが求められる。27歳という年齢を考慮すれば、プレミアリーグでレギュラーポジションを掴み取る機会は残り少ない。新天地での躍動次第では、再びフランス代表のスターティング11に返り咲くことも十分に現実的だ。
個人的な見解
ディサシの移籍劇を追っていて痛感するのは、現代サッカーにおける選手と戦術システムの相性がいかに決定的かということだ。
彼の事例は、単純にタレントがあるだけでは成功できない現実の厳しさを浮き彫りにしている。チェルシーでの苦戦は決して能力不足が原因ではない。マレスカ監督が求める高いラインでのプレッシング守備と、彼のプレースタイルが完全にミスマッチしただけの話だ。
最も期待を寄せるのは、ウルヴァーハンプトンへの移籍。ペレイラ監督の戦術はシンプルで明快であり、ディサシの最大の武器である空中戦の強さや読みの鋭さが最大限に活用される。
何より、チーム状況を考慮すれば即座にスターティング・イレブンへの定着が見込める点が魅力的だ。パフォーマンス連動型の契約も、選手にとっては自己証明への絶好の舞台となる。
一方で、ボーンマスという選択肢も捨てがたい魅力を秘めている。イラオラ監督の下でプレーすることで、攻撃的なビルドアップに参加するスキルを磨けば、より現代的なセンターバックとしての価値を飛躍的に高められる。
どちらの道を歩もうとも、ディサシにはこの移籍を自身のキャリアにおける大逆転劇の起点にしてもらいたい。フランス代表として2022年ワールドカップ決勝の舞台に立った男の真価が、いま再び問われようとしている。