ルーカス・パケタの2023年の夏は、キャリアの分岐点となるはずだった。マンチェスター・シティとの契約はほぼ合意に達し、移籍金は約8500万ポンド。
ペップ・グアルディオラの下で、ケビン・デ・ブライネやロドリと並び立つ未来が目前に迫っていた。しかし、その扉は突如として閉ざされた。FA(ザ・フットボール・アソシエーション)が突きつけたのは、4試合で意図的にイエローカードを受け、賭博市場に影響を与えたという重大な疑惑だった。
この告発は2024年5月に正式化され、FAは有罪なら生涯出場停止も辞さない構えを見せた。だが、14か月に及ぶ調査と審理の末、2025年7月、独立規律委員会は「証拠不十分」として全ての賭博関連の違反を不成立と判断。
FAは控訴を断念。ところが、同委員会はFA規則F3(協力義務違反)については違反があったと認定しており、その制裁内容は近日中に発表される予定だ。
崩れた移籍と失われた機会
FAの調査が始まったのは、パケタがシティ移籍の最終交渉に入っていたタイミングだった。契約書にサインする寸前で、クラブはリスクを回避し、他のターゲットに切り替えた。結果として、パケタはロンドン・スタジアムに留まり、ウェストハムも巨額の移籍金を逃した。
この移籍破談は、金銭的損失のみにとどまらない。シティはそのシーズン、プレミアリーグを制覇し、FAカップとチャンピオンズリーグでも上位進出を果たした。
パケタにとっては、タイトル獲得の機会と世界最高峰の舞台での経験が失われたことになる。彼の弁護士アリスター・キャンベル氏は、英『Daily Mail』に対して「トロフィーキャビネットの空白は、無罪判決や金銭的補償では埋められない」と語っている。
英『The Times』の報道によると、現在、パケタとウェストハムはFAに対する法的措置を検討中のようだ。争点は二つ。第一に、移籍破談による逸失利益の補償。第二に、調査過程で発生した100万ポンド超の法的費用をFAが負担すべきかどうかだ。
9月3日に公開された314ページの規律委員会報告書では、FAの主張の一部を「驚くべき」「矛盾している」と評する記述があり、調査手法への疑問が浮上している。FAは「重大な疑惑には徹底的な調査を行う」との姿勢を崩していないが、今回の件はその“徹底”が選手のキャリアをどこまで犠牲にしてよいのかという根本的な問いを突きつけている。
ピッチ上での再起と未来
パケタは現在28歳。2027年夏には契約満了でフリーとなる予定だが、今季はウェストハムでのパフォーマンスが彼の将来を大きく左右する。先日のノッティンガム・フォレスト戦でのゴールは、精神的な重圧を抱えながらも結果を出せることを示した。
彼のプレースタイルは、攻撃的MFとしての創造性と守備での献身を兼ね備える。2022-23シーズンのプレミアリーグでは、90分あたりのキーパス数2.1本、プレス成功数はリーグ上位。左ハーフスペースからの縦パスや、相手DFライン背後へのスルーパスは、依然として一級品だ。もし今季、その精度と決定力を安定して発揮できれば、来夏以降の移籍市場で再びビッグクラブの関心を集める可能性は高い。
ウェストハムにとっても、この法廷闘争は単なる選手擁護ではない。移籍金の逸失はクラブ経営に直結する損失であり、FAの調査によってその機会が奪われたと考えている。クラブは調査期間中もパケタを守るために法的支援を行い、メディア対応にも細心の注意を払ってきた。
もし訴訟で勝訴すれば、FAの調査手法や規律委員会の運営に対する監視が強化される可能性がある。一方で敗訴すれば、FAの権限はさらに強固になり、今後同様のケースで選手やクラブが法的手段を取るハードルは高くなるだろう。
パケタはブラジル代表でも重要な役割を担ってきた。2026年北中米ワールドカップを見据え、今季のパフォーマンスは代表選考にも直結する。
代表監督は彼の創造性と戦術理解度を高く評価しており、クラブでの安定した出場と結果が求められる。FAとの法廷闘争が長期化すれば、精神的負担が代表活動にも影響する可能性は否定できない。
個人的な見解
今回のパケタのケースは、英国サッカー界における規律と権利のバランスを問う試金石になると感じている。FAが掲げる「競技の公正性維持」という使命は揺るぎないが、その過程で選手やクラブのキャリアを破壊しかねないリスクがあることも事実。
特に、移籍市場という時間的制約の中での調査は、迅速性と正確性の両立が不可欠となる。
もしパケタとウェストハムが勝訴すれば、FAの調査プロセスは透明性とスピードの両面で改善を迫られるだろう。
逆に敗訴すれば、FAの権限はさらに強化され、選手側の防御手段は限られてしまう。いずれにせよ、この争いはピッチ外の出来事でありながら、今後のプレミアリーグの移籍市場や規律運営に長期的な影響を与える可能性が高い。