フランス・リヨン出身のティエルノ・バリーは、異色の経歴を持つストライカーだ。バスケットボールの選手だった父に持ちながら、自らはゴールネットを揺らす道を選んだ。ベルギー、スイス、スペインと欧州を渡り歩き、ついにイングランドの地に降り立った22歳の挑戦。そのキャリアは、決して平坦なものではなかった。
バスケの申し子から生まれたストライカー
2002年10月、リヨンで生まれたバリーは、ギニア代表として活躍したバスケットボール選手アマドゥ・コルカ・バリーを父に持つ。幼少期は父の影響でバスケットに親しんだが、やがて彼の興味はフットボールへと傾いていく。父は「バスケの反射神経はフットボールにも活きる」と助言を与え、それがバリーのプレーに大きく反映されていった。
地元クラブのASモンシャット・リヨンで9歳からサッカーを始めたバリーは、後にASサン・プリエストへと移籍。このクラブはユーリ・ジョルカエフやナビル・フェキルらも輩出した名門だ。13歳から16歳まで在籍し、2019年には仏3部のSCトゥーロンに加入。ここでユースコーチを務めていたユセフ・シフのもと、最初はミッドフィルダーやウイングとしてプレーしていたが、やがてストライカーへとポジションを変えた。
英『The Athletic』によると、バリーが空中戦に目覚めたきっかけは、アジャクシオとの一戦での出来事だった。競り合いを避けた彼を、シフは前半20分でベンチに下げたという。この一件を境に、バリーは空中戦での勝率を大きく向上させ、昨季は欧州5大リーグで2番目の空中戦勝率を記録した。
ベフェレンで開花──“労働者の星”と呼ばれて
2020年にソショーのトライアルを経て契約を結ぶも、トップチームでの出場機会はなかった。その後、ベルギー2部のベフェレンへ移籍したことで、バリーのキャリアは一変する。移籍直後からゴールを重ね、2022-23シーズンには31試合20得点で得点王に輝き、リーグのベストイレブンにも選出された。
当時ベフェレンのCEOだったアントワーヌ・ゴバンは、バリーを「勤勉で謙虚な選手」と評している。クラブは生活面でも彼を支援し、運転免許の取得費用や住居の提供まで行った。バリー自身も「冷蔵庫のある生活が贅沢だった」と語り、クラブへの感謝を忘れなかったという。
ピッチ外でのサポートと、元コンゴ代表FWディウメルシ・ムボカニとのパートナーシップが彼の成長を後押しした。この経験が、のちの移籍にも大きく影響を与えることとなる。
ラ・リーガでの飛躍と評価
2023年夏、スイスのバーゼルへと渡ったバリーは、開幕早々に2試合連続で退場処分を受ける波乱のスタートとなったが、その後は持ち前の得点力で存在感を示す。翌2024年1月にはリーグ戦初得点を皮切りに10ゴールを記録し、スペインのビジャレアルへとステップアップを果たす。
ラ・リーガ初挑戦のバリーは、ビジャレアルでの初年度に35試合で11得点をマーク。なかでもレガネス戦でのハットトリックは大きな話題を呼んだ。プレースタイルはシンプルだが強烈。空中戦とフィジカルで相手を圧倒し、裏抜けの動きでも高い評価を得ている。
また、統計面でも非PK期待ゴール(npxG)0.57(88パーセンタイル)、空中戦勝利数4.19(90パーセンタイル)と圧巻の数字を残した(『StatsBomb』調べ)。一方で、パス成功率53.5%やボールロストの多さなど、改善点も指摘されている。
エヴァートンでの挑戦──未完成の原石がプレミアリーグへ
そして2025年7月9日、バリーは英エヴァートンと4年契約を結び、プレミアリーグに初挑戦することとなった。移籍金を2700万ポンド、週給5万ポンドの年俸と報じられている。
この移籍に際し、ベフェレン時代のゴバンは「まだ彼は自分の限界を知らない」と語る。バリーはスピードとパワーを兼ね備えたストライカーとして、1対1や空中戦でも怯まないプレースタイルを武器にしている。
デイヴィッド・モイーズ監督のスタイルにも合致すると見られ、ベトとの2トップも期待される。米国マイアミで個別トレーニングを行うなど、プレミア挑戦への準備も万全だ。フランスU-21代表としても今夏のEUROに出場し、代表キャリアも今後が楽しみな存在だ。
バリーのキャリアは、困難を乗り越えるたびに次の扉を開いてきた軌跡の連続だ。まだ22歳。そのポテンシャルは計り知れず、プレミアリーグという舞台でさらに磨かれていくに違いない。