移籍市場の最終週で繰り広げられるドラマは、時として一つの判断ミスが長期的な影響を与える。2025年8月末、アストン・ヴィラとスポルティングCPの間で行われたジェニー・カタモを巡る交渉がまさにその典型例だった。
ポルトガル紙『A Bola』の報道によれば、ヴィラはわずか500万から1000万ポンドの追加投資を拒否したことで、この24歳のモザンビーク代表ウインガー獲得を断念した。現在、2025-26シーズン序盤戦で苦戦を強いられているヴィラにとって、この夏の判断の重さが徐々に明らかになりつつある。
ウナイ・エメリ監督が描いていたビジョンは明確だった。前季チャンピオンズリーグ出場権を獲得した成功を踏み台に、さらなる高みを目指すためには攻撃陣の質的向上が不可欠だった。
その中核を担う存在として期待されたのがカタモだったのである。スポルティングでは背番号10を背負い、右ウイングから左足のカットインシュートで相手守備陣を切り裂く24歳は、エメリの戦術システムに完璧にフィットする逸材だった。
エメリが求めた現代的ウインガーの条件
カタモの魅力は数字に表れている。173cmというコンパクトな体格ながら、圧倒的なスピードを武器に、昨季公式戦で7ゴール5アシストを記録した。より重要なのは、彼の持つ戦術的柔軟性である。右ウイングでの切れ味鋭いドリブルから、必要に応じてウイングバックまでこなせる適応力は、多くのコンペティションを戦うヴィラにとって理想的な駒だった。
エメリがカタモに注目した理由は、単純なスピードやテクニックにとどまらない。モザンビーク代表として32試合に出場し、2023年アフリカネイションズカップでも存在感を示したカタモは、国際舞台での経験も豊富。
プレミアリーグの激しいプレッシャーとフィジカルコンタクトに対応できる精神的強度と、ヨーロッパのトップレベルで通用する技術レベルを併せ持つ選手として、エメリの構想には欠かせない存在だったはず。
実際、ヴィラの現有戦力を見渡せば、カタモのような選手の必要性は火を見るより明らかだった。レオン・ベイリーのローマ移籍により右サイドのオプションが減少し、この穴を埋めるためにもカタモは理想的な人材だった。
スポルティングの強気姿勢と市場原理
ヴィラの提示した2000万ポンドに対し、スポルティングCPは最低3000万ポンドを要求した。この金額差は決して法外なものではない。実際、ポルトガルクラブは2500万ポンド＋500万ポンドのアドオンという条件であれば交渉に応じる姿勢を見せていた。この数字は、カタモの市場価値を冷静に分析した結果だった。
2028年まで契約が残り、6000万ユーロのリリース条項を持つカタモを手放すには、それ相応の対価が必要だった。特に、ルベン・アモリム監督（現マンチェスター・ユナイテッド監督）の下でリーガ制覇に貢献した主力選手を、移籍市場終盤で安易に放出する理由はスポルティング側にはなかった。
さらに複雑な要素として、当時ジョゼ・モウリーニョ監督が率いたフェネルバフチェも同時期にカタモへアプローチしていた事実がある。
トルコの強豪は、マルコ・アセンシオ獲得でもヴィラを上回る条件を提示してスペイン代表ウインガーを奪取しており、カタモ争奪戦でも積極的な姿勢を見せていた。この競合関係が、スポルティングの強気な価格設定を後押ししたのは間違いない。
現シーズン序盤の苦戦が示す影響
ヴィラは新シーズン序盤で期待された結果を残せずにいる。9月1日のクリスタル・パレス戦では、鎌田大地のプレーで獲得したペナルティキックをマテタに決められ、ホームで敗北を喫した。この結果は、攻撃陣の創造力不足を如実に表している。
カタモ獲得に代わって、ヴィラはジェイドン・サンチョのマンチェスター・ユナイテッドからのローン獲得で対応した。確かにサンチョはイングランド代表経験を持つ実力者だが、ユナイテッドでの立場に不満を持つ選手の緊急避難的な移籍という色彩が強い。
一方、ハーヴィー・エリオットのリヴァプールからの完全移籍は評価できる補強だったが、彼もまたアンフィールドでのポジション争いに敗れた結果の移籍だった。
これらの選手たちが悪い選手ではないが、カタモのような上昇志向と野心に満ちた選手を獲得できなかったことの影響は、チーム全体のモチベーションと将来性の観点で無視できない。特に、チャンピオンズリーグとプレミアリーグを両立させる今季において、質の高いローテーション要員の不足は深刻な問題となっている。
カタモは現在もスポルティングに残留し、新シーズンでもその才能を発揮し続けている。6000万ユーロのリリース条項は依然として有効であり、来夏の移籍市場では間違いなく注目の的となるだろう。ヴィラがその時までにクラブとしての格を上げ、より魅力的な提案ができるかどうかが、真の成長に繋がるだろう。
個人的な見解
この夏のカタモ獲得失敗は、アストン・ヴィラにとって重要な転換点だったと私は考えている。エメリ監督が築いた現在の成功基盤は確かに価値があるが、それを次のレベルに押し上げるためには、より大胆で先見性のある投資判断が必要だった。
わずか500万から1000万ポンドをケチったことで、将来的にはその何倍もの価値を持つ可能性があった選手を逃したのである。
現在のヴィラは、中堅クラブから真のビッグクラブへと脱皮する過渡期にある。この段階でのクラブ経営陣の判断は、今後10年間のクラブの方向性を決定づける重要性を持つ。
カタモのような選手への投資を躊躇する保守的な姿勢では、マンチェスター・シティやリヴァプールといった真のトップクラブとの差は縮まるどころか、さらに広がる可能性がある。
一方で、サンチョやエリオット、そしてヴィクトル・リンデロフといった経験豊富な選手たちを確保した手腕は評価されるべきだろう。
ただし、これらはいずれも他クラブでの立場に問題を抱えた選手たちの「救済移籍」という側面が強い。真の成長を目指すクラブとして、ヴィラには市場で最も注目される上昇志向の選手たちを引きつける魅力と決断力の両方が求められている。
エメリ監督の戦術的手腕と選手育成能力は疑いようがないが、クラブ全体として次のステップに進むためには、移籍市場での野心的な姿勢こそが不可欠なのではないだろうか。