タインサイドの空気が、かつてないほどの緊張感を帯びている。それは凍てつくような北イングランドの冬の寒さのせいではない。セント・ジェームズ・パークのピッチに立ち続け、魔法のようなロングフィードで数多の勝利を演出してきたファビアン・シェアという巨星が、ついにその輝きを失いつつあるという現実を、我々が直視しなければならない時が来たからだ。
2025年12月14日現在、30代半ばに差し掛かったスイスの英雄の去就について、クラブ内部では極めて現実的かつ冷徹な議論が進んでいる。もはや感傷に浸っている時間はない。
エディ・ハウ監督とスポーツディレクターのロス・ウィルソンが描く未来図には、すでに新たな主役の名前が書き込まれている。イタリア・セリエAで急速に名声を高める22歳のボスニア・ヘルツェゴビナ代表、タリク・ムハレモヴィッチだ。
複雑怪奇な権利関係と「50%条項」が招く激戦
英『TEAMtalk』によると、ニューカッスル・ユナイテッドが、サッスオーロの守備の要であるムハレモヴィッチ獲得レースにおいて、ポールポジションを確保したようだ。だが、この移籍劇は単純なオファーと合意のプロセスでは完結しない。そこにはイタリア・カルチョ特有の、複雑に入り組んだ利権構造が横たわっている。
サッスオーロというクラブは、若手の育成と転売において欧州屈指の手腕を持つタレント工場。彼らがムハレモヴィッチを完全移籍で獲得した際、前所属元のユヴェントスは巧妙な罠を仕掛けていた。
それが「将来の移籍金の50%を譲渡する」というセルオン条項。これは獲得を狙うニューカッスルにとって、極めて厄介な障壁となる。サッスオーロ側からすれば、売却益の半分を没収される以上、相場を遥かに上回る高額な移籍金を設定せざるを得ない。5000万ユーロで売れたとしても、手元に残るのは2500万ユーロ。彼らが強気な姿勢を崩さない理由はここにある。
さらに状況を混沌とさせているのが、競合クラブの顔ぶれだ。インテル、ACミラン、ナポリ、そしてボローニャ。セリエAの上位陣がこぞってこのレフティーをリストアップしている事実は、彼が国内リーグですでに完成された選手と見なされている。
特にインテルは、3バックの左を務める人材として彼を最優先ターゲットに据えており、マグパイズにとって最大の障壁となるに違いない。ユヴェントスもまた、かつて手放した才能の行方を監視している。彼らにとってムハレモヴィッチが高値で売れることは、自らの懐を痛めずに大金を得るボーナスゲームに他ならない。
「攻撃するディフェンダー」という稀有な才能
ニューカッスルはこれほどのリスクとコストを冒してまで、ムハレモヴィッチに執着するは、彼が今シーズン、サッスオーロで記録しているスタッツの中に明確に表れている。ディフェンダーでありながら公式戦ですでに3ゴール4アシスト。現代サッカーにおいて、センターバックはもはや「守るだけ」の存在ではないが、これほど直接的にスコアに関与できる選手は世界を見渡しても稀有である。
ファビアン・シェアがニューカッスルで築き上げたのは、最終ラインからゲームを支配する「クォーターバック」としての地位だった。彼がいなくなることで失われるのは、守備強度以上に、攻撃の始点となる展開力と、セットプレーにおける得点源となる。
ムハレモヴィッチは、その両方を高いレベルで補完できる数少ない候補者である。左足から繰り出される正確無比なフィードは、アンソニー・ゴードンらの裏への抜け出しを加速させる。
また、彼のキャリア背景も興味深い。オーストリアで育ち、ユヴェントスのプリマヴェーラで英才教育を受けた後、トップチームへの壁に阻まれ、サッスオーロでの武者修行を経て才能を開花させた。エリート街道から一度ドロップアウトし、泥臭く這い上がってきた雑草魂は、エディ・ハウが好む「戦える選手」のメンタリティそのもの。
22歳という若さは、スヴェン・ボトマンと共に今後10年にわたって最終ラインを支えるパートナーとして理想的であり、シェアの退団による世代交代を一気に加速させる起爆剤となり得る。
しかし、懸念がないわけではない。セリエAとプレミアリーグは、全く異なるスポーツだと言われるほどに競技性が乖離している。イタリアで通用した読みやポジショニングが、イングランドの理不尽なまでのスピードとフィジカルコンタクトの前では無力化されるケースを、我々は嫌というほど目撃してきた。
特にムハレモヴィッチの場合、サッスオーロという比較的プレッシャーの少ない環境から、世界で最も注目され、かつ批判に晒されるプレミアリーグへのジャンプアップとなる。
個人的な見解
正直に言えば、私はこの動きを全面的に支持したい。ファビアン・シェアの退団は痛恨だが、それを嘆いていてもクラブは前進しない。むしろ、シェアという偉大な存在がいたからこそ、ニューカッスルのセンターバックには「足元の技術」という高いハードルが設定された。
その基準を満たす選手を市場から探すのは至難の業。その中でムハレモヴィッチという選択肢は、スカウティング部門が世界中をくまなく探し回った執念の結晶のように思える。
特に評価したいのは、彼が「左利き」であるという点。ボトマンやダン・バーンといった既存の左利きDFたちとどう共存させるかという戦術的なパズルは残るものの、ビルドアップの角度や選択肢が増えることは間違いない。
ユヴェントスの50%条項によって移籍金が高騰するのは確実だが、PSR(収益性と持続可能性に関する規則)の枠内であれば、金を惜しむべきではない。シェアの後継者選びに失敗すれば、チームのスタイルそのものが崩壊する危険性があるからだ。
22歳の若者に過度な重圧をかけるべきではないが、彼にはセント・ジェームズ・パークの熱狂をエネルギーに変え、新たな英雄となる資質があると信じている。
